伊藤若冲

売茶翁 11歳で出家。肥前 龍津寺の化霖禅師から禅を学ぶ 57歳の時、化霖が遷化すると、寺を法弟に任せ上洛 61歳で、「仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心に在り。事跡には在らず。そも、袈裟の仏徳を誇って、世人の喜捨を煩わせるのは、私の持する志とは異なっている」として売茶の生活に入る。茶を喫しながら考え方の相違や人のあり方と世の中の心の汚さを卓越した問答で講じ、簡素で清貧な生活をするが為に次第に汚れていく自己をも捨て続ける行を生涯つづけようとしている。 売茶翁の行動は、当時の禅僧の在り方への反発から、真実の禅を実践したものであったと言われる。禅を含む仏教は、寺請制度により、お布施という安定した収入源を得て安逸に流れつつあった。また禅僧の素養として抹茶を中心とした茶道があったが、厳しい批判眼を持つ売茶翁の目には、形式化したものに映った。そのため茶本来の精神に立ち返るべく、煎茶普及の活動に傾注したとも言われる。